本居宣長
【もとおりのりなが】
遊里通いも熱心に、「好信楽」がモットーの国学者
本居宣長は江戸時代中期の人物で、本業は医者だが、国学者として名高く、歌人でもある。伊勢松坂(現・三重県松阪市)のもめん問屋の次男に生まれたが、学問好きで商売に向かず、医師を志して二二歳の頃から約六年間、京都で医学と儒学を学ぶ。松坂に帰郷後、医師を開業する。三三歳のとき、松坂に立ち寄った国学者の賀茂真淵と出会って入門。翌年から『古事記伝』の執筆に着手し、三五年かけて完成させる。日本語の研究でも、テニヲハをくまなく調べて、係り結びに法則性があるのを発見している。七二歳で死の床に就く直前まで、医師の仕事を続け、書を読み、講義をおこない、日記をつけていたという。医者としても国学者としても活躍した学問好きで働き者の宣長だが、彼が好きなのは学問だけではなかった。酒好き、タバコ好き、神社仏閣のお参り好き、お祭りや音曲などのにぎわい好き、芝居好き、それに女好きだったのだ。京都に遊学中も、宣長は医師になるための勉強を熱心にするかたわら、四季折々の行楽を欠かさず楽しみ、神社や仏閣の縁日に頻繁に出かけたり、芝居を盛んに見に行った。お祭りも大好きで、祇園祭には毎年出かけ、山鉾を見物したり、祇園の女性たちに見とれたりした。また、彼は酒や女性も大好きで、神社、仏閣の参詣の帰りには、ときどきお茶屋に寄り道した。酒量も増えて、心配した母親から厳しい叱責の手紙を受け取ったこともあった。松坂に戻ってからは、三〇歳で恋に落ち、強引に妻にもらい受けている。彼は、「好信楽(自ら好むところに従い、これを信じて楽しむ)」を生涯のモットーとし、その通りに人生を謳歌したのである。決して真面目一方の学者ではなかったのだ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820902 |