松
【まつ】
戦国時代、城に植えられた松が立派な非常食になった?
日本の城をイメージすると、ずっしりと構えた城の周りに、必ずといっていいほど立派な松の木がたくさんある様子が目に浮かぶ。城といえば松、松といえば城というように、城と松はもはや切っても切り離せない組み合わせとなっている。さて、城の持つ風格や威厳を演出するために松の木は植えられていると思いがちだが、意外にも別に大きな理由があったために、城には必ず松の木が植えられるようになったという。実は、戦国時代の兵が籠城する際に、松の木は大事な非常食になったのである。戦国時代には、敵軍に城を何日も包囲され、城に立てこもって戦わなければならない場面もしばしばあった。敵は城内の食糧がなくなるのを待つ戦法、いわゆる兵糧攻めを仕掛けてくるのだ。このときに役立つのが松の木であった。当時の侍たちは兵糧が底をつくと、松葉をかじって飢えをしのいだというのだ。松の木が非常食になるというのは、江戸時代以前の人々にとっては大切な知恵であった。江戸時代の三大飢饉といわれる享保、天明、天保の大飢饉のときには、農民たちがこぞって松の皮を剥いで食べたといわれている。ここで当時、農民たちがどのようにして松の木の食べていたかを紹介しよう。まずはじめに松の皮を取り除き、白い生皮を臼でつく。この白い部分にいちばん栄養があるといわれている。それを水に浸すことで苦みや臭みが抜ける。そのうえで、その汁を濾して干せば、白い粉ができる。その粉を麦粉などに混ぜると、モチやダンゴ、香煎などもつくることができるのだ。こうして手間暇かけてつくったのは、すべて飢饉対策のためであった。また松葉には強い殺菌力があるうえ、葉緑素やビタミン、ミネラルが豊富に含まれている。美味であるかどうかはさておき、非常時には役立つ優れものであったといえる。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820832 |