ハイネ
【はいね】
奔放な妻に手をやいた、情熱の詩人の私生活
ドイツ生まれのロマン派の詩人ハイネは、フランスで七月革命がおこるとパリに移り、以後パリを拠点として活躍した。日本では、明治時代に流麗な七五調の文体で翻訳された抒情詩がもてはやされた。「なじかは知らねど、心わびて」の歌詞で知られる「ローレライ」もハイネの作品で、彼をいちやく有名にした『歌の本』に所収されているが、評価を受けるには一〇年ほどの歳月が必要だった。『歌の本』はハイネの二五歳から三〇歳までの作品集だが、彼がユダヤ人だったこともあってか、ドイツの旧弊な体制を批判したため、国内で発禁処分を受けてしまう。『歌の本』はフランス定住後に再出版されて初めて評判となるのだが、その行動からもわかるように、ハイネ晩年の詩作には政治色が強まっている。ハイネの結婚はパリへ移住してからだった。相手は、出会った当時ようやく一九歳になったばかりの靴屋の売り子マティルダ。ハイネはすでに四〇歳近い壮年である。出会ってすぐにハイネは、「私は首まで恋愛情事に浸っている」と友人に手紙で書き送るほど彼女の魅力のとりこになる。マティルダは、田舎生まれの無学な少女だったようだが、女性としての魅力にはあふれていたため、二人の恋の主導権はマティルダが握ることになる。すでに革命詩人としての一面を見せはじめていたハイネを、彼女はまったくの子ども扱いして翻弄するのだ。ハイネが無学で気まぐれな彼女を教え諭そうとしては喧嘩になり、仲直りしたかと思うと再び喧嘩をして、彼女に失望して別れてみたり、再会すればまた魅力にとりつかれてよりが戻ったりを、二人は繰り返すのである。そして四年後にようやく正式に妻に迎えるものの、以後も彼女の奔放な行動や浪費癖に振り回される。それでもハイネは彼女がかわいくてたまらなかったようで、旅先から三日をあけず手紙を書き、愛を告げては無視され続けた。悪女ほどかわいいというが、ハイネは妻に翻弄されることを楽しんでいたのかもしれない。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820692 |