ハイドン①
【はいどん】
妻に早く死んでほしい……とまで考えた浮気者の大音楽家
ハイドンは、一八世紀なかばから一九世紀はじめにかけてオーストリアで活躍し、古典派音楽の基礎をつくった音楽家である。ハイドンのつくり上げた古典派様式は、後にモーツァルトやベートーベンによって発展を遂げた。一〇〇曲をこえる交響曲を作曲し、「交響曲の父」とも呼ばれている。ハイドンにはマリア・アンナという四歳年上の妻がいたが、どうやらハイドンは妻を結婚当初からあまり愛していなかったようだ。そもそもハイドンはマリアの妹が好きだったのだが、彼女が修道院に入ってしまったために、姉と結婚したのであった。そんなハイドンが本気で恋に落ちたのが四七歳のときだった。相手は二〇歳の歌手ルイジア・ポルツェリ。彼女にはバイオリニストの夫がいたのだが、二人はたちまち道ならぬ恋に落ちてしまった。彼女は少なくとも一人、あるいはもっとたくさんのハイドンの子どもを産んだのではないかといわれている。それからというもの、二人で互いの配偶者が早く死んでくれないかと願う有様。彼女の夫はハイドンが六〇歳のときにやっと(!?)死亡するのだが、そのときハイドンは、「あなたの気の毒なご亭主の今度のことは、神様があなたから厄介な重荷を解放してくださったのです。……まもなくあの四つの目が閉じる日が来ることでしょう。二つは閉じました」といった手紙を彼女に送っているのである。しかし、残りの二つの目であるハイドンの妻は病弱ながら、その後七年間も生き続け、ハイドンの願いは叶わなかった。その間に二人の愛は終わりを告げてしまっていたからである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820690 |