葛飾北斎②
【かつしかほくさい】
自分も娘も画号は語呂あわせ。駄洒落が大好きな浮世絵師
数々の傑作を残した葛飾北斎は、自ら「画狂人」と名乗る変わり者だった。まず、引っ越しの回数が半端ではない。自分の家を持とうとせず、生涯において九十数回も引っ越したという。たびたび火災に遭ったり、部屋が汚れてくると、家財道具もほとんど持たず、筆一本で長屋を転々としたようだ。そんな貧乏暮らしなので、版元に借金をすることも多かったようだ。名古屋の版元・永楽屋に二両二分の借金を頼む手紙が現存しているが、それがおもしろい。役人が自分の画号を「へくさゐ」と勘違いして書いているという設定で、「ちょっとへくさゐを呼んで来いよ」「尻クサイ」という駄洒落にした。このユーモラスな手紙で彼は無事金を借り入れたらしい。そのほか遊び精神たっぷりの挿し絵入りの借用書も残されている。五番目の妻が死に、三女のお栄が離婚して戻ってきてからは、お栄と二人暮らしだったが、彼女も父と同じく天才絵師で、しかも駄洒落好きだったようだ。お栄の画号は「応為」というが、これは北斎が彼女のことを「おーい、おーい」と呼んでいたのを画号にしたのだといわれている。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820171 |