駅ビル
【えきびる】
民間資本が初めて入った駅は、愛知県の豊橋駅
国鉄が民営化されJRになってからは、同じ路線でありながら旧国鉄時代とは異なる種々の変化が見られるようになった。なかでも利用者にいちばんわかりやすく目につくのが、駅舎の変化だろう。ただ改札口と駅務室だけあればいいといったスタイルだったものから、売店や飲食施設までを備えた駅ビルに次々と変身しているからだ。なかには宿泊施設まで備えたものもある。こうした商業施設のある駅ビル化は旧国鉄時代の一九七三(昭和四八)年、改正国有鉄道法の投資条項に基づき、国鉄以外の資金が使われた東海道本線平塚駅ビルが誕生したのが第一号とされている。法改正は、赤字財政となった国鉄への民間資本導入を認めるためにおこなわれたものだった。というのは表向きのことで、平塚駅以前に民間資本導入によって建設された駅ビルがなかったわけではない。第二次世界大戦後、戦災にあった駅舎再建を国鉄が独力でできない場合は、緊急措置的な扱いとして民間資本の導入がおこなわれていたのである。地元の協力で再建費用の一部を負担してもらうかわりに、完成後の駅舎を商業施設として利用することができるようにしたものだ。これが「民衆駅」と呼ばれた国鉄駅ビルのさきがけで、東海道本線豊橋駅が第一号となった。一九四七(昭和二二)年に、豊橋市と同商工会議所が申請したもので、米軍攻撃で破壊されてバラック小屋になっていた駅舎再建に、資金の六一パーセントを地元が負担している。三年後に完成した駅舎の二階には、市民が出資したデパートが入ったという。豊橋駅以外にも国鉄民営化以前に、池袋西口、秋葉原、尾張一宮、門司などの駅に民間資本が導入され、約六〇の民衆駅が誕生している。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820097 |