弩
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■2 文献にしか出てこなかった幻の武器・弩が出土…東洋史においても貴重な発見
弩と称する武器がある。中国の戦国時代(紀元前5世紀)以後、辺境を防備する武器として使われるようになったもので、日本には7世紀に高句麗から伝わったとされている。
簡単にしくみを解説すると、銃身と照準、そして引き金がついた機械仕掛けの弓で、引き金を引くと勢いよく矢が飛び出す。現代で言うところの、ボーガンのようなものだと思っていいだろう。
しかし、これまで『日本書紀』などの文献にはたびたび登場するものの、実物はまったく発掘されていなかったため、長いあいだ「幻の武器」とされてきた。
1999年6月、その弩の一部を発見したとの発表があった。発掘場所は伊治城跡(宮城県栗原郡築館町)、767年に造営され、大和朝廷の蝦夷制圧の基地として使用されたと伝えられる城である。
出土した弩は全体の一部で、縦6センチ、横3・5センチ、高さ2センチの小さな青銅物だが、引き金や照準などの「機」と呼ばれる一番大切な部分であり、構造は中国に現存する弩の機と同じであることが判明した。おそらく、奈良時代の終わりから平安時代初期に製造されたと思われる。
弩については、その発表の前月、1999年5月に島根県出雲市の姫原西遺跡でも出土したが、こちらは木製で、祭祀に使われた可能性が高い。伊治城跡のものは、蝦夷制圧の基地ということもあり、実用されていたのは疑いないだろう。
この時期の弩は中国でもまだ見つかっておらず、まさに、画期的な発見だと言える。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625030 |