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日本史の雑学事典第3章 合戦・戦争の巻 > 鎌倉時代

文永の役
【ぶんえいのえき】

■3 文永の役では神風は吹かなかった?…蒙古軍が撤退した本当の理由を探る
 1206年、チンギス・ハンによって創設されたモンゴル帝国は、すさまじいほどの勢いで膨張し、その孫・フビライの代になると都を北京へ移した。そして1271年に国号を元と改め、東アジアへと侵出していった。
 このため、宋は圧迫されて南遷し、朝鮮半島の高麗は元に無理やり服属させられた。さらにフビライは日本へも矛先を向け、鎌倉幕府に朝貢を要求するようになった。執権・北条時宗はそれを断固拒絶したため、1274年、ついにフビライは日本を討つべく、3万の大軍を九州・博多へ送ったのである。こうして文永の役は勃発した。
 幕府軍は、モンゴル人の集団戦法や見慣れぬ武器に翻弄され、ほとんど為す術がなかったと伝えられる。もし、そのまま夜になっても戦い続けたなら、おそらく幕府軍は敗北していただろう。だが、運良くと言うべきか、モンゴル人たちは夜に入ると、全員が船へ戻っていった。敵地ゆえに警戒したのだ。
 その夜、暴風雨が吹き荒れた。
 夜が明けると、昨夜の大風によって、元軍の船はほとんど沈没してしまっていた。まさに救いの風であり、以後、日本人は、「国が危機に見舞われたとき、必ず神風が吹く」という迷信を信じるようになった。第2次世界大戦の悲劇的な神風特攻隊の名称も、もちろんここが発信源である
 さて、文永の役で吹いた突然の風の正体だが、これまでの歴史家は、これが台風であることをまったく疑わなかった。だが、どうやら台風ではないようなのである。なおかつ、果たして本当に風が吹いたかどうか怪しいものなのだ。
 疑問を呈したのは、気象学者の荒川秀俊氏である。彼の説は非常に興味深いので、以下にそれを要約して紹介する
「モンゴル人が来襲したのは、旧暦の10月20日。この日付を太陽暦に直すと、11月26日に当たる。台風の季節とはほど遠い。加えて、当時の史料からは台風が発生した記録が見出せない。ということは、台風は来なかったのである
 そう断定し、さらに荒川氏は、元軍の撤退は予定の行動であったと推定する。
 まさにコペルニクス的発想の転換である
 確かに、次の弘安の役(1281年)は新暦に直すと8月16日で、まさに台風の季節である。その到来は不自然ではない。だが、11月後半は異常だ。後世の人々が、蒙古襲来を劇的にするため、文永の役でも神風を登場させてしまったのか、あるいは、2度の戦争がごちゃ混ぜに混同されて、神風神話が生まれ可能性も否定できない。
 ただし、11月末に絶対に台風が来ないとは言い切れない。実際、1990年の11月30日には、日本列島に台風が上陸している。
 それに、当時の史料がないというのは理由に乏しい。鎌倉時代という歴史的古さゆえ、散逸してしまっていて当たり前であり、逆に残っているほうが奇跡なのだ。元軍の撤退が予定の行動だとする文献も存在していない。学者のなかには、台風ではなく突風、あるいは強い季節風とする人もある。が、それごときの風で日本海を渡ってきた船が沈没するであろうか? もちろん、その程度では沈没しないと思うのが常識であろう。
 しかし、この船は、元に支配された高麗の人々が建造したことがわかっている。元の支配に強い抵抗を示した彼らが造船命令に反発し、手抜き工事をした可能性も否定はできない。
 また、船を近づけ過ぎて停泊していたため、互いに船体が激しくぶつかり合って破壊され、沈没してしまったのだという説もある。




日本実業出版 (著:河合敦)
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14625031


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:河合敦
価格:1,404
収録数:136語
サイズ:18.6x13x2.2cm(四六判)
発売日:2002年6月
ISBN:978-4534034137

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