西安事件
【せいあんじけん】
■15 国民党と共産党が同盟を結んで日本に対抗…西安事件の主人公、真相を語らぬまま100歳で逝く
2001年10月14日、ハワイにおいて張学良が100歳で逝った。学良は、満州軍閥・張作霖の息子である。日本軍に父を爆殺されたため、日本との関係を絶ち、〓介石の国民政府の配下に入った。しかし、満州事変で日本軍から駆逐され、その後は〓に従い、中国共産党と戦った。
当時の〓は、日本軍より毛沢東率いる共産党と激しい戦闘を繰り広げていた。その隙に日本軍は満州国を建国、さらに華北へ侵出しつつあった。
こうした状況に危機感を持った学良は、〓が共産党と戦っている自分を激励に来たさい、〓の身柄を西安に監禁した。1936年12月のことだ。
そして〓に「同国人が血を流しているときではない。共産党と手を組んで日本軍と徹底抗戦すべきだ」と迫った。これに〓が同意したため、学良は彼を解放。自由の身となった〓は、約束に従って、共産党と同盟を結んだ。第2次国共合作である。かくして抗日統一戦線が確立され、中国は日本の侵略に立ち向かっていくことができた。
さて、その後の張学良である。彼は、この西安事件の責任を問われて禁錮10年の刑を受け、国民党が台湾に渡ったさいも連行され、90年代の李登輝政権まで、国民党に軟禁状態にされていた。
だが、李政権の民主化政策により、張学良も公の場に姿を見せるようになる。中華人民共和国は西安事件を高く評価して、学良を英雄と讃え、台湾政府に里帰りの実現を求めた。しかし学良は、健康上の理由から大陸へは渡らず、ハワイで夫人と共に療養生活を送った。事件の詳細は、ついに死ぬまで語らなかったのである。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625028 |