アユ
『古事記』の仲哀天皇の章に、神功皇后が、筑紫の末羅県(肥前国松浦郡)の玉島里の川のほとりで食事中、裳の糸を抜き取り、飯粒を餌にして年魚を釣ったとある。『日本書紀』の「神功皇后 摂政前紀」には、この釣りの時、「若し事を成すこと有らば、河の魚鉤飲へ」と(新羅出征の幸先を)占った(神意を問うた)ことが記されている。これが、後に、本来ナマズを指す鮎の字がアユに当てられた理由といわれる。『風土記』をみると、当時アユは全国的に漁獲されていたことが窺える。因みに『万葉集』にはこの魚を詠んだ歌が15首もある。
“あゆ”の語源については諸説があって、貝原益軒は“あゆる”は“お(落)つる”で、アユが秋に産卵のために川を下るからといい、新井白石は“あ”(小)“ゆ”(白いもの)で、白い小魚とした。また、“アヘ”(饗)の転呼とするものや、“あ”(愛称)“ひ”(魚)の転じたものとの考えもある。
今日の「旬」は、旬儀(旬政。中古、禁中で行われた年中行事の一つ)の賜物が季節に適ったことがその由来である。当時の孟冬の旬(旧暦の10月1日)には氷魚を賜ったという。これは琵琶湖から宇治川に流出したアユの稚魚と考えられている。
| 東京書籍 (著:岸 朝子/選) 「東京五つ星の魚料理」 JLogosID : 14071089 |