吉田茂
【よしだしげる】
ワンマン宰相の処世術「ジョーク」
戦前の外交官という肩書きと、敗戦による人材の不足から、終戦直後の東久邇宮内閣と幣原内閣で外相の座に就いた吉田茂は、公職追放となった鳩山一郎の後を継いで自由党総裁となって首相の座につく。ところが、新憲法下の議院内閣制の実施で、選挙をして国会議員にならなければ、総裁の地位も首相の肩書きもなくすという状態に追い込まれてしまう。そこで、地盤を実父の故郷高知県に定め、一九四七(昭和二二)年、日本国憲法下での最初の選挙に臨むことになった。かつて実父が、この土地で立候補し、当選したことがあるとはいえ、苗字も異なる吉田本人を土佐っぽと見る地元の人は少ない。おまけに、彼はお坊ちゃま育ちだから座談は上手でも演説は最も苦手とするところだ。それでも選挙運動はしなければならぬと街頭演説をおこなうことになった。壇上に上がった吉田が外套を着たままなのを、聴衆が「演説をするなら、外套くらい脱ぐのが礼儀だ!」と野次を飛ばした。すると、彼は悠揚として迫らず、こう切り返したという。「なに、外套を着てするからガイトウ演説なんだ!」と。五次にわたる内閣の最後は、「バカヤロー解散」。彼は処世術は、ガンコとジョークであった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820935 |