毛沢東
【もうたくとう】
革命家はダンスがお好き!?
第二次大戦中は抗日運動のリーダーとなり、中華人民共和国建国へと導いた毛沢東にも意外な側面がある。革命後、西欧社会の退廃に通じるものとして禁止されていたはずのダンスパーティーが、毛沢東が国家主席だった時代から、彼の主催で開かれていた。このことは、大衆から神と崇められる存在の裏での、彼の一面をうかがわせるものだ。それは、たとえばメーデーのような共産党の祝賀行事の後におこなわれることもあったが、主席辞任後も、毛沢東を喜ばせるために中国共産党幹部数人が開催するようになっていく。党の下級幹部で構成されたバンドが演奏するのは、ワルツやタンゴなど社交ダンスふうの西洋音楽である。そのなかを毛沢東は、党の文化工作隊から派遣された選り抜きの美女たちと、体をくっつけ抱き合うようにしてステップを踏む。一曲が終われば、すぐにパートナーを替えてという具合だったそうな。やがてこのダンスパーティー会場の隣の部屋には、高齢になった毛沢東のために「休息用」のベッドも運び込まれ、彼は若い美女を従えて休息に向かうこともあったとか。偉大なる革命の指導者ではあっても、やはり人の子。常に聖人君子でいられるものではないということか。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820898 |