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雑学大全2ヒトの不思議 > 人物

南方熊楠①
【みなかたくまぐす】

死後、自ら解剖の実験台になった博物学者

一八六七(慶応三)年に和歌山県に生まれ、明治、大正、昭和という時代を生きて、太平洋戦争のはじまった直後に没した南方熊楠は、生涯を通じて生物学、人類学、民俗学などを追究した博物学者である。特に菌類の研究については高い評価を受けている。上京して大学予備門に入った熊楠は、すぐに勉学のほかに興味の対象を見つけて退学してしまう。石器や土器、動植物、鉱物の標本採集が興味の対象だった。そして興味の赴くままに、一八八六(明治一九)年、二〇歳のときに渡米してしまう。実家が裕福な金物商で、後継の心配のない次男だったことが幸いし、熊楠はアメリカから中南米、西インド諸島と植物採集をかねた旅を続けた。一八九二(明治二五)年、イギリスに渡り、ネイチャー誌に「極東の星座」と題する論文を寄稿し、それが縁で大英博物館の嘱託職員となる。ネイチャー誌には五一回投稿しており、この回数は個人では最も多いといわれている。一九〇〇(明治三三)年に帰国してからは、故郷に戻り、植物採集とその分類に没頭し、七〇歳を過ぎるまで研究を続けた。ただ、七〇歳を過ぎても探究心は衰えなかったが、肉体的には苦しいものとなった。とくに長年にわたってのぞき続けた顕微鏡のおかげで視力が弱り、鼻の持病にも悩まされた。老人特有の萎縮腎にもなった。さすがに採集生活は無理だったが、読書にふけり、新聞のスクラップも欠かさなかった。それでも死期を悟ったかのように「自分の遺体が役に立つのなら、科学のために解剖でも」と口にするようになる。実際の南方の死は、一九四一(昭和一六)年一二月二九日に訪れた。翌日には大阪医大の助教授と学生たちの手により、屋敷の庭に置かれた縁台の上の遺体が解剖に付された。縁台は南方がキノコの解剖台に使っていたもので、生涯フィールドワークにこだわった南方にふさわしい手術台だったといえる。誰もが興味のあった博学の南方の脳は、一五〇〇グラムと平均より一〇〇グラム重く、刻まれたシワも複雑で誰もが彼らしい脳だと感嘆したという。




東京書籍 (著:東京雑学研究会)
「雑学大全2」
JLogosID : 14820871

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