平塚らいてう
【ひらつからいてう】
料理が苦手だった女性解放運動家!?
女性解放運動家の平塚らいてうの本名は平塚明。筆名の「らいてう」は「雷鳥」のかな書きである。一九一一(明治四四)年、伊藤野枝らと青踏社を結成し、女性ばかりの文芸誌『青踏』を創刊。「青踏」の名は、一八世紀末のイギリスに存在した貴族の女性サロン「ブルー・ストッキング」の和訳である。創刊号の巻頭の文章「元始、女性は実に太陽であった……」は女権宣言として知られる。一九一三(大正二)年、「新しい女」を名乗り、古い道徳や習慣、法律を破壊すると宣言した。翌年に画家の奥村博史と同棲をはじめたとき、入籍しない「愛の共同生活」をうたった。さて、らいてうは、女性が家事をするという従来の習慣を破り、女性解放の一つとして「共同炊事」を提唱した。では、本人はというと、大学の家政科で料理を習ったのに、料理が苦手だったという。一方、同棲相手の奥村は自炊経験があり、料理がうまかった。「共同炊事」といいながら、まともに料理できるのは男だけというカップルが誕生したのである。しかし、奥村ばかりが炊事をしていては画家の仕事に差し障る。困っていると、伊藤野枝が、「人数が増えてもつくる手間は同じだから、炊事を引き受けましょう」といってくれた。しかし野枝は、らいてう以上に料理が下手だった。金だらいを平気ですき焼き鍋にしたという話が伝わっている。やがて、地方から出てきた文学志望の若い女性や家出してきた若い既婚女性の面倒を見るようになると、彼女たちが料理をつくってくれるようになったという。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820748 |