甲子園①
【こうしえん】
干支が名前の由来である「甲子園」の土は、やはり特別な土
高校球児の憧れの場所、甲子園。収容人数五万八〇〇〇人の大球場で、一九二四(大正一三)年八月一日に完成した。この年が、十干、十二支の最初である「甲」と「子」に当たる年だったため、ここから「阪神電車甲子園大運動場」と名づけられた。十干、十二支では、「甲」と「子」が最初の組み合わせであり、もちろん六〇年に一度しかないため、非常に縁起がいいとされていたからだ。ところで、甲子園というと、負けた高校生が必ずといっていいほど、記念にグラウンドの土を持って帰る。見ているほうとしては、「どうせそのへんの土と変わらないのだろう」と、少々うがった見方をしてしまうのだが、甲子園の土はやはり特別だったのである。甲子園の土が特別になったのは、建設以来の伝統といってもいい。なぜなら、建設以来、選手がプレーしやすいことを最大限に考慮してグラウンドの土を選んでいるからだ。たとえば、建設時、甲子園球場近くの土は白っぽかったためにボールが見にくかった。そこで、黒い土をブレンドすることにしたのだが、まずとりかかったのは、様々な黒い土との相性を試すことだった。その結果、淡路島の土に決まったが、どの割合で混ぜるかは、実際に担当者がグラウンドを走ったり、すべり込んだりしながら実験して、いちばんプレーしやすい配合を見つけたという。現在では、諸事情で日本の黒土と中国福建省の白砂を混ぜているようだ。この配合率へのこだわりは相当なもので、春と夏でも違っている。雨量や陽射しの強弱を考慮して、春では砂を多めに、夏は黒土を多めにするなどの配慮がされているという。さすがは高校球児憧れの聖地だけのことはある。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820296 |