月賦
【げっぷ】
いまでいうクレジット販売のルーツは、伊予の商人!?
江戸時代頃から、財政難を解消するために各地で特産品づくりが奨励されたり、地場産業育成が試みられたりしたが、ここで活躍したのが商人である。近江商人などが有名だが、伊予商人もまた人的特産品といえるほどの商売上手である。伊予商人といっても、天領だった桜井(現・今治市)の商人が中心である。彼らは江戸時代から九州方面を対象に商売をしていたが、扱うのは地元の産物ではなく、唐から津、伊万里などの陶器だった。これを瀬戸内海の海運を使って四国や中国地方の各港に寄りながら関西方面まで売り歩いた。帰りも手ぶらではない。紀州黒江の特産品である漆器を仕入れて逆コースで行商した。そのうち陶器より高価な漆器だけを扱う方が利幅が大きいと、漆器だけを行商するようになった。これが瀬戸内海名物、「椀船」である。客は瀬戸内海沿岸地域から九州にかけての農村だった。ただ農民にとって漆器は高級品。一度に代金は払えないから、盆暮れにまとめて払う、いわゆる節季払いという信用取引がおこなわれた。このとき培った客との信頼関係が、明治時代以降の新しい販売形態の考案に結びつく。鉄道の敷設で交通が発達すると、効率の悪い椀船行商をやめ、商人たちはグループ販売をはじめた。先遣隊が見本を並べて注文を取り、二番手グループが商品を届け、集金組が代金を受け取るという方法だ。その頃には、勤め人といわれる層が生まれていて客に月給取りが増えていた。そこで集金も月ごとに少しずつ受け取るようになり、これが月賦制の誕生となったようだ。やがて扱う商品も漆器だけに限らなくなり、家具や衣服、貴金属まで広がった。商品先渡し、代金分割払いという現在のクレジット販売は、こうして伊予商人によって編み出されたといわれる。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820277 |