クレオパトラ色
【くれおぱとらいろ】
なぜクレオパトラ色は「青」?
深みのある濃い青色「紺碧」。英語の色名では「クレオパトラ」と称される。クレオパトラといえば世界三大美女の一人に数えられる絶世の美女といわれる女性である。紺碧色とクレオパトラにどんな関係があったのだろうか?色名「クレオパトラ」が誕生したのは一九二三年と比較的新しい。つまりクレオパトラが生きていた古代エジプトの時代からそう呼ばれていたわけではないということだ。この色名は、古代エジプトの彫刻やパピルス、壁画などに使われた「エジプシャン・ブルー」や「アレキサンドリア・ブルー」と呼ばれる青色の美しさを称えて、クレオパトラと名づけられたといわれる。というわけで、クレオパトラとこの青が直接関係していたというわけではない。こうした抽象的な色名はとくに青色に多いようだ。昔から美しく冴えた青色を出すのは非常に難しかった。まず青色の顔料が希少で、青金石と呼ばれるラピスラズリという鉱物を挽いた天然の顔料ウルトラマリンなどは、純金と等価もしくはそれ以上で取引されていたほどだ。それが人工的な青色の顔料が発明されるようになると、それまで見たこともないような美しい青色が続々と登場するようになった。しかし、古代からのロマンともいえる青色に対して名前をつける際、その希少価値、神秘性を表現するために、抽象的な名前がつけられることになったようだ。クレオパトラしかり、色名に歴史上の人物の名がついている場合、多くは後世の人々がその人物のイメージから連想して名づけたものであるが、直接的な関係があって名づけられた例外もある。たとえば「パーキンズ・パープル」という紫色は、その色の化学染料の発明者であるパーキン氏の名をとって名づけられた。やや緑がかった強い青色である「コバルト・ブルー」は別名「テナール・ブルー」とも呼ばれるが、これは一八〇二年に輝コバルト鉱からアルミン酸コバルト(コバルト・ブルー)を発明したテナール氏の名前に由来する。また、多くの場合は人物の死後、かなりのときを経て名づけられるが、印象派の画家であるモネの場合は、死後二年で「モネ・ブルー」という青色を残した。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820262 |