ガンディー
【がんでぃー】
危篤の父より妻が大事?禁欲で知られる政治指導者の煩悩
インドを英国植民地から独立させるのに尽力した国民的指導者ガンディー。彼がインド人の人権運動に目覚めるのは、南アフリカでのインド人労働者の市民権獲得運動に関わったことがきっかけである。やがて本国での活動に乗り出し、国民会議派の指導的立場に立つと、非暴力・不服従の理念のもと、宗主国イギリスに対して、静かなる革命を推進する。たとえば、国内で使う塩すべてに課税されていたため、数千人をともなって海岸へ向かい、一握りずつの塩を生産した「塩の行進」。これが全国に広がって、非合法の塩が出回るようになり、外国支配の克服が可能なことをわからせた。マハートマー(「偉大なる魂」の意)という形容詞をつけて語られ続けているガンディーは、国民にとって精神的指導者となった思想家ではあるが、同じインドの宗教家だった釈迦のような聖人君子ではない。あくまで人間味にあふれた人物で、若い頃は煩ぼん悩のうに満ちた青年だったという。彼は幼児婚というインドの風習通り、一三歳で同じ年の少女と結婚した。親同士が決めた、ほとんど初対面の妻を彼は溺愛したため、試験を受けずに一年落第したほど仲むつまじい少年時代を過ごした。父が危篤で病床にあった一六歳のときも、深夜に付き添い看護から解放されると、妊娠中の妻のもとへ飛んで戻った。父が息を引き取ったとき、二人は寝室にいたという。結局、彼は父の最期を看取ることができず、おまけに父の死後に生まれた赤ん坊も三日目に亡くしてしまった。それがトラウマとなったのかどうか、ガンディーは三七歳で禁欲の誓いを立て、以後いっさい妻を近づけなかったという。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820205 |