江戸
【えど】
男だらけだった!? 人口一〇〇万人の江戸の町
町人や商人文化の花開いた江戸時代。町娘や三味線の師匠、おいらん、長屋で洗濯をしながら井戸端会議をする女性たち。時代劇や舞台などでよく出てくるので、女性が活躍していたような感じも受ける時代なのだが、実際には、その男女が入り混じった華やかなイメージには程遠く、初期の江戸は男だらけの町だったという。当時、およそ一〇〇万人が江戸で暮らしていたと想定されるが、その中で女性が占める割合は全体のなかで五分の一程度。いまでは町人文化が栄えた時代として語られているが、もともと江戸の町とは、幕府による政治の中心地としてつくられた「武士の町」だったのだ。そのため、はじめから男が多い町だった。町人や商人は全体の半分で、徳川吉宗の時代に実施された一七二一(享保六)年の調査によれば、男性が三二万三二八六人、女性は一七万八一〇九人だ。それ以外は幕府直属の旗本や御家人、諸藩の大名屋敷に住む武士、僧侶や神官など、男社会の典型で女性は極端に少ない。その後、次第に町が町人文化を中心に栄えていったのだが、それも男の数の拡大につながった。まずは生活に困窮する旗本や近江商人や伊勢商人などの男たちの進出。また、地方から出てきて江戸の商店で働く奉公人も男。さらに、商業を支える職人や人足の仕事に就く地方出身者も男が多く、いったん、男の比率が極端に多くなってしまったというわけである。だが、次第に江戸の文化も定着すると、江戸後期には女性も増えて自然に平均化していったようだ。私たちが時代劇などで目にする時代は江戸の後期といえるかもしれない。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820106 |