一休宗純
【いっきゅうそうじゅん】
実在の「一休さん」は、意外にも超過激なお坊さん!?
テレビアニメの『一休さん』は、一九七五(昭和五〇)年からおよそ七年間にわたって放映されていたので、老若男女とわずご存知の方も多いだろう。この頓知の坊主、一休さんは、室町時代に実際に活躍した大徳寺の住持である一休宗純がモデルになっているのも、有名な話だ。モデルとなった一休宗純は室町時代の禅僧で、頓知についての話が書物としてまとまったのは一六六八(寛文八)年。彼が没してからおよそ二〇〇年後のことであった。これ以後、江戸時代には『一休関東咄』『一休』『絵本一休』『絵入一休諸国物語』『一休諸国物語図絵』など、一休に関する本が次々に刊行された。その内容も機知に富んだ話が中心だ。それが童話となって、今日まで受け継がれているのである。そういうわけで、一休さんの頓知話がたとえ事実であったにせよ、脚色されていると見るほうがよいだろう。いまでは「子どもが大人をやり込める」という一休さんのイメージが私たちには定着しているが、ここまでくるには先のような経過を経てきたのである。一休の父親は後小松天皇だと伝えられる。しかし、天皇の愛妾だった彼の母は、天皇に敵対した南朝方遺臣の娘だった。こうした事情から、六歳のときに安国寺に預けられ、以後は禅僧としての道を歩むことになる。一休は純粋で潔癖、虚無と偽善を嫌ったという。そんなところから、隠れて肉を食べ、遊郭に通う僧侶の多いことを非難する意図で、中年以降は自ら酒屋へ入り浸り、肉を食べ、遊郭に登って女性と交わったとされる。しかし、彼のこうした行動は果たして、僧の現状に警鐘を鳴らすためだけだったのか、という疑問もある。七八歳のときに、森侍者という盲目の女性を愛人とし、驚くべきことに彼女との愛欲生活を賛美する詩までつくっているのだ。また、遊郭での遊女との抱擁や接吻は何よりも楽しいと記し、女性器や性交の情景を讃えているのである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820048 |