酒づくり
【東京雑学研究会編】
§酒づくりをしていたのは杜さんだった?
杜氏は、酒づくりのプロ。酒蔵では工場長のような立場で、酒づくりチームの責任者といえる。いい酒をつくってもらうためには、杜氏の機嫌をそこねてはいけない。酒蔵への出入りは、社長といえども杜氏の許可がなくてはできなかったといわれている。
この杜氏という言葉は、どこから来たのか。杜さんという人がいたのだろうか。実は「杜」という字は、中国の酒づくりの名人「杜康」にちなんだものといわれている。杜康とその一族は酒づくりがめっぽう上手だったことから、酒づくりのプロは「杜氏」と呼ばれるというわけだ。これが最も有力な説である。
一説には、中国の酒の発明者は「儀狄」という禹の時代(約四〇〇〇年前)の人とされているが、定かではない。有名なのは、やはり杜康である。
宋代の詩人で、文人官僚であった蘇軾の代表作品『赤壁賦』には、「何をもって憂いを消さん、惟だ杜康あるのみ」とある。これは「杜康がつくったうまい酒だけが、憂いをはらってくれる」ということを意味した詩句だ。おもしろいのは、杜康が酒の代名詞として使われていることだ。
彼の名がひろく知れわたると、中国では「酒の神」として祀られたこともあったという。三国時代の英雄にして大詩人、曹操は「気分がむしゃくしゃしたときには、『杜康』に限る」と書いている。これも酒づくりの名人「杜康」にかけて、「酒をあおる」という意味である。
それでも、杜という氏が現れたのは周の宣王以後のことであり、酒の祖といえるほど、古いものではない。むしろ杜康は酒づくりが上手だったので、世に名を得た人であったようだ。
ちなみに、河南省には「杜康酒」という名の酒がある。この酒は田中角栄が中国で周恩来と乾杯した際に、「ぜひ飲みたい」と中国側に頼んだ酒として知られている。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670383 |