源頼朝と北条政子④
【みなもとのよりともとほうじょうまさこ】
■7 源頼朝と北条政子④…尼将軍と呼ばれながらも寂しい晩年
鎌倉幕府内での北条政子の発言力は次第に強くなり、3代将軍・実朝亡きあとは完全に幕府の実権を握った。「尼将軍」と呼ばれる由縁である。
だが、家庭的には薄幸であった。1199年には夫・頼朝に先立たれ、43歳で未亡人になっている。2人のあいだには4人の実子がいたが、2代将軍を継いだ長男の頼家は、横暴な振舞いによって関東武士からひんしゅくを買い、政子の実父・北条時政に暗殺され、短い生涯を閉じた。次男で3代将軍になった実朝も、逆恨みした頼家の子、つまり政子の孫の公暁に殺されてしまう。娘の大姫と乙姫(三幡)も早世しており、政子は実子4人すべてに先立たれてしまうのである。
1221年に後鳥羽上皇が北条義時(政子の弟)追討の院宣を発することで始まる承久の乱の 末を描いた『承久記』に、政子の晩年の想いが載る。
「私は日本一幸福な女であるかのように言われているが、私ほど苦労した者はない。結婚に反対されて親に恨まれ、夫が平氏と戦っている6年間は不安な毎日を過ごし、やっと平氏が滅んで安心すれば、娘の大姫が病で死んでしまった。悲しくて娘のあとを追おうとすると、夫に諫められ思い止まったが、その夫が先立ってしまった。今度こそ死のうと考えたが、幼い息子たちの面倒を見てやらねばと生きる決心をしたところ、そんな息子たちも次々と先に逝ってしまった。ああ、こんな辛い目に遭うなら、もっと早くあの世へゆくべきだった。どこかの川や淵に身投げして、いっそ死んでしまいたい心境である」
1225年7月、政子は69歳で生涯を閉じた。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625083 |