下町の味、どぜう
どじょう料理の店は、なぜかどこも橋のたもとにある。またなぜか私としては、食材としてのどじょうは「どぜう」と書くのが好ましいと思うのだ。
さて、そのどじょう。日本ならほとんど全国どこでも、ほかにアメリカ、カナダ、イギリスなどの淡水の池、沼、水路に棲息している。
日本人は古くからどじょうを食べてきたようだが、それが酒などを使う新しい調理法の発明により、美味なものとして、また江戸独自の専門料理として成立するのは、江戸時代の後期といわれる。駒形どぜうは享和元年(1801)から「どぜう」の看板を掲げている。すぐにやわらかく煮えるどじょうは、せっかちな江戸っ子たちの気質に合っていたのだろう。ひるがえって現在の東京では、店の数はわずかしかないものの、いつでもどの店も大勢の客で賑わっている。
私は下町育ちではないせいか、どじょうにはあまり親しみがない。戦後しばらく千葉県の茂原に暮らしたことがあるが、その地がどじょうの生産地として名高かったと聞いて驚いたのは、ずっと後のことだ。その土地では夏の夕暮れ、青白く眼を射るアセチレン灯とヤス(漁具の一種)を下げた人々が、青田の中に入ってゆく。聞くと、あれはどじょうを捕っているのだという。食料のないころで、母は頼んでどじょうを分けてもらい、ろくに料理法も知らぬまま食卓にのせ、箸をつけるのをためらう子どもたちに、「栄養になるのよ。だから食べてちょうだいね」と必死の面持ちだったことを思いだす。
後年、田舎の出身だが江戸好みの友人に下町探訪に引っ張り回され、彼の講釈と一緒にすし・天ぷら・うなぎ・そば・あんこう・どじょうなどを、少々閉口しながらも楽しんだことがある。そのときにどじょうはやわらかく、おいしいことを知った。のちにどぜう飯田屋、駒形どぜう、伊せ喜ほかの店を訪れた折も、これら老舗のしつらえや給仕してくれる人々の物腰、仕草、みんな気持ちよかった。そしてどぜう汁や、葱をのせて割下で煮て食べるどぜう鍋、うなぎより淡泊な蒲焼、柳川鍋など、江戸の味とはこれか、と思ったものだった。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京五つ星の鰻と天麩羅」 JLogosID : 14070807 |