春の一日、秋本での遅い昼餉
久しぶりに日本を訪ねてきた友人の英国人外交官夫妻に、「何を食べたい?」と聞くと、即座に「うなぎですね」との答えが返ってきた。短い日本滞在のうちの、大切な時間である。地の利を考え、またそれなりに日本風ということで秋本に決めた。
今はビルが林立する麴町にあってただ一軒、戦後建て直されたとはいえしっとりした木造のこの店は、昔の東京はかくやと思わせるたたずまいだ。客の多くは比較的年配で地味ながら、もの静かで身なりよく、声高にしゃべることなどしない。
私が注文するのは、どこの店でも白焼、蒲焼、うな重に肝吸いと決まっている。なかでもこの店の白焼は特別だ。ほどよい焼き加減もさることながら、山椒を添えたつけ醤油が格別だ。醤油特有の臭みがなくて切れがよく、香ばしいうなぎの身と脂をすっきりと味わわせてくれる。店の人は「お酒で割ってあります」とだけ。蒲焼は蒸し加減、焼き加減よくふっくらと香りも高く、東京風の甘辛のたれがほどよくからまっている。うな重はよその店とは違い、蒲焼とご飯が別のお重に入っており、どちらも折敷に乗せて供される。
店の人はあまり商家臭くなく、物腰は丁寧で柔らかい。行儀よく静かにおいしく食事を、というときには最適の一軒といっていい。ちなみにこの日は前述した英国人夫妻と江戸っ子の地質学者夫妻、それに私たち夫婦の3組で旧交を温めつつ、春の昼下がりの遅い昼餉を楽しんだ。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京五つ星の鰻と天麩羅」 JLogosID : 14070804 |