うなぎについて思い出すこと
土用の丑の日が近づくと、うなぎ好きならずとも、なぜかうなぎを食べずには済まない雰囲気が巷に漂ってくる。河川と湖沼の多い日本列島は、昔からうなぎの棲息に適した地だったらしく、万葉集の大伴家持の歌に「……(略)夏やせによしといふものぞむなぎ(=うなぎの古語)取り召せ」とあることからも、日本人が古くからうなぎを食べていたことは得心がゆく。けれど、当時の調理の仕方までは不明のようだ。
江戸時代も中期になると、うなぎを縦に割いて蒸してから焼く方法が普及し、合わせて醤油や味醂の発達を受けてよいたれが造り出され、それがうなぎの脂や身の味を引き立てた。焼くときの匂いが香ばしく、蒲焼は大いに人気を博したという。
土用の丑の日にうなぎを食べるという習慣は文政(1818~30)のころに始まったようだ。人気があったとはいえ、当時は屋台や辻売りがほとんどで、江戸時代の後期にかけて、腕のよい職人たちが店を構え始める。今も伝統の味を受け継ぐ老舗の伊豆栄、前川(52頁参照)、野田岩(34頁参照)などの創業もこのころである。
周知のように、江戸(東京)に代表される関東と大坂(現大阪)に代表される関西では、調理の方法が多少異なる。幕府お膝元の江戸では武家文化の影響からか、腹開きは「切腹に通じる」からとうなぎを背開きし、素焼きして蒸したのち、たれをつけて本焼きする。関西、なかでも商人の町・大坂では「腹は黒くない」からと腹開きして素焼きし、たれをつけて本焼きする。東はたれが辛めであっさりしており、西はうなぎを蒸さない分だけ脂が濃い。
幼いころ、父の勤め先の丸ビルにあった竹葉亭本店(24頁参照)で食べた蒲焼は、驚きを伴った、本当においしい思い出だ。長じてラジオ局で、選挙など特別勤務の折に会社から支給される冷めた蒲焼弁当も、それなりにうまかった。
各地を旅して食べたうなぎ料理、例えばフランスのヴァローナの桃色のマトロット、ロンドン・テムズ川畔の店のゼリー寄せ、日本各地のさまざまなうなぎ料理、また東京のフレンチレストランの冷製など、これらもそれなりにおいしかった。
とはいえ懐かしくも深い幼児体験ゆえか、創業以来の味を伝えている竹葉亭本店、石ばし(48頁参照)、野田岩、秋本など、東京の蒲焼がやはり大好きだ。上品で香ばしい丹精込めた濃い飴色のたれが、ふっくりした身にからまり、まるで口の中でとろけるようだ。この東京の蒲焼こそ一番、と思っている。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京五つ星の鰻と天麩羅」 JLogosID : 14070803 |