味噌汁
【みそしる】
味噌汁が飲まれはじめたのは、応仁の乱の頃
「日本人はやっぱりこれだよ」。そういってしみじみすするのが味噌汁。どんなに高級な料理を口にしても、「白飯、焼き魚、おひたし、味噌汁がいちばんいい」という人も少なくない。そういうだけあって日本人と味噌とのつきあいは長く、縄文時代から食べられてていたという説が有力だ。中国で生まれた「醤(ひしお)」が朝鮮(高麗)に伝わり、七世紀頃日本に伝わったという説もある。その二つが合わさって味噌のルーツになったと考える人もいる人もいる。いずれにしても、奈良時代の文献に出てくることは確かである。しかし、当時は乾いた豆味噌のようなもので、庶民の口には入らない高級品だったそうだ。その後、中世になって禅宗が広まるにつれ、精進料理が食べられるようになり、味噌の使用量も増えたといわれている。味噌汁が食卓に登場するようになったのは、室町時代の応仁の乱(一五世紀の中頃)の頃のようだ。また、「汁張講」という集まりがあって、野菜や魚をたくさん入れた味噌汁の鍋を囲み、武士たちが語り合ったことが伝えられている。戦国武将は保存食として味噌を推奨した。豆腐汁、キノコ汁、ドジョウ汁など味噌汁の種類が増えたのは、江戸時代になってからのことだ。日本各地の気候などに合わせて味噌の種類も多様化した。当時から自家醸造が盛んにおこなわれ、経済力のあるところでは原料配合の異なる様々な種類の味噌をつくっていたことが、寺院や身辺の生活を記した『多聞院日記』から知ることができる。ちなみに、自慢することを「手前みそ」という。これは、自分の家でつくった味噌の味が、いちばんおいしいと考えがちだったことによる。また、家ごとに伝承される家族の生命を養う大切な食べものでもあり、各地に「味噌が腐ると死者が出る」という俗信が残る。沖縄地方では、新築した家屋に移るときは最初の荷物として味噌と塩を運び入れる風習が残っている。ほかにも味噌の匂いを山の神が好むといい、山の神祭に田楽や味噌を塗って焼いた煎餅をつくるところも多い。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820867 |