ミケランジェロ
【みけらんじぇろ】
美しいものなら男でも愛した芸術家
一六世紀イタリアの代表的な彫刻家・画家・建築家のミケランジェロ。ルネサンス期のマルチ型天才たちの代表的な一人だが、当人は「彫刻家」を自任していた。中部イタリアに生まれ、フィレンツェで育つ。少年の頃、メディチ家に引き取られて彫刻家となり、二九歳のときに『ダビデ像』を制作する。一五〇五年、教皇ユリウス二世の招きでローマに行き、ユリウス二世廟の建設に従事。一五〇八年、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画制作を命じられ、一五一二年に完成。さらに一五三五年から一五四一年までかけて、『最後の審判』を描いた。同礼拝堂の天井画・壁画はほとんど彼の制作である。一五六四年、『ロンダニーニのピエタ(悲哀)』を制作中に他界する。仕事に情熱を傾け続けたミケランジェロだが、彼の情熱の対象は仕事だけではなかった。彼は同性愛者で、何人もの美しい青年たちを熱烈に愛したといわれる。なかでも彼が最も愛したのは、ローマの青年貴族トンマーゾ・デル・カヴァリエーレだった。カヴァリエーレは礼儀正しい美青年で、ミケランジェロに最初に会ったとき、偉大な芸術家を前にして興奮していた。ミケランジェロのほうといえば、彼の美しさに魅了されたのであった。それからカヴァリエーレはミケランジェロを敬愛してアトリエに出入りするようになった。ミケランジェロは彼に友情以上の感情を抱いたらしく、彼の等身像の素描をはじめ、いくつかの素描を贈ったり、情熱的な詩を送ったり、熱烈な恋文を何通も出した。これらの恋文は、女性に宛てたと思われたこともあったが、後世の研究により、カヴァリエーレに宛てたとわかったのだ。ミケランジェロの愛し方の激しさに、周囲は眉をひそめ、カヴァリエーレはずいぶん悩んだ。困惑しながらもカヴァリエーレはミケランジェロが死ぬときまで忠実で、こよなく尊敬していたという。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820860 |