マージャン
【まーじゃん】
「ピンズ」は穴あき銭、「ソウズ」はひも、「マンズ」は束の数を表現
麻雀といえば、徹マン(徹夜でする麻雀のこと)する人もいるほど人気のゲームである。しかし、日本における麻雀の歴史はまだ浅い。名川彦作が中国四川省で英語教師をしていたとき麻雀を習得し、一九〇九(明治四二)年に日本に麻雀牌を持ち帰った。その後赴任した樺太(サハリン)の大泊中学で同僚たちに教えたことがきっかけで日本に広まるようになったという。そもそも麻雀の起源は、いまから一二〇〇年前の唐時代までさかのぼり、中国で流行した「葉子戯」が現在の麻雀の原形といわれている。その「葉子戯」は、四〇枚の牌(現在は一三六枚)を使い、空文(白板)、枝花(紅中)、文銭(筒子)、索子、万貫(万子)の種類があった。そして、現在われわれが使っている筒子、索子、万子の原形はここにあるという説が有力だ。筒子が「穴あき銭」を、索子は「その銭を通すひも」を、万子は「その束の数」をあらわしているという。その後、馬吊(マーチャオ)(計四〇枚)が誕生し、遊湖(パーコ)(計六〇枚)、そして江西紙牌(チャンシーパイ)(計一〇八枚)と変化し、現在の麻雀(計一三六枚)となったようだ。「麻雀」の名ははじめ、馬吊を別名「一名麻将」といったことから、「麻将」と名づけられた。「将」を「雀」に変えたのは、竹骨製の牌をまぜるときの音がスズメのさえずりに似ていたからという。なお、中国語においては麻雀のことを現在も「麻将」という。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820827 |