遠足
江戸時代にもおこなわれていたマラソン大会
古代ギリシアの故事にならったマラソンは、いまや日本人にはなじみ深いスポーツである。各地で大会が開かれ、マラソンにちなんだ行事も多数存在する。そのなかの一つに、群馬県安中市で毎年五月の第二日曜日に開催される「安政遠足 侍マラソン」という行事がある。参加者の半数以上が何らかの仮装をしていることが特徴で、たくさんの仮装ランナーが、市長の叩く「明け六つ」の大太鼓を合図に安中市文化センターをスタートする。コースは約三〇キロの峠コースと、約二〇キロの関所コースとの二つだ。実は、安中市こそ、日本における「マラソン」発祥の地である。江戸時代も末の一八五五(安政二)年に、安中藩主板倉勝明らが、藩士の鍛錬のために「遠足」という一種のマラソンをおこなったことが記録に残っているのだ。そのときのコースは、安中城から碓氷峠を経て信州軽井沢の熊野神社にいたる七里二四町(約三〇キロ)で、藩士たちは袴の裾をからげ、刀を肩にかついで走ったようだ。もちろん順位も重視されたようで、「安中御城内諸藩士御遠足着順」という記録文書が、安中市の熊野神社に現存している。最近話題になったマラソン行事といえば、二〇〇七(平成一九)年に開催された「東京マラソン」が記憶に新しい。日本陸連公認の大会としては初めて市民ランナーの参加が認められ、三万人規模の大会として成功を収めたのである。なお、初のマラソン競争は、一八九六年、アテネで開催された第一回オリンピック大会。コースは故事にならって、マラトンからアテネまであった。はじめの頃、マラソンの距離は約四〇キロで一定していなかったが、第八回オリンピック以降、四二・一九五キロで定着した。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820608 |