伝書鳩
【でんしょばと】
一九六〇年代まで使用されていた「鳩通信」
インターネット、FAX、携帯電話。一瞬にしてあらゆる情報を手に入れることのできる現代からは考えられないが、その昔、いち早く情報を伝達するための手段として、「伝書鳩」が使われた時代があった。日本における一般通信用の通信鳩は、東京朝日新聞が軍用鳩の応用として一八九三(明治二六)年一月に飼育をはじめたのが最初という。随時、鳩を放って試験をしていたが、最初に通信用として使ったのは、一八九五(明治二八)年六月二〇日、朝鮮から井上馨が帰国した際であった。そもそも伝書鳩の起こりは、一八七〇年に起こった普仏戦争でフランス陸軍が使用した軍用鳩である。ここで通信に大活躍したことに注目して、日本軍も飼育をはじめたのだ。しかし、その後は電信や電話の広まりもあって、あまり伝書鳩は普及しなかった。ところが、その後第一次世界大戦が起こり、各国の軍隊で伝書鳩の使用が盛んになると、日本軍は一九一九(大正八)年、中野に軍用鳩調査委員事務所を設立し、フランスから優秀な種の鳩を一〇〇〇羽も輸入したのだ。これが、大正時代の後期から昭和初期の日本における新聞通信(鳩通信)となったのだ。鳩は、毎分一キロ以上の速度で飛び、一羽が一度に二、三枚の通信紙を運んでいたという。鳩の使い方はこうだ。記者は二、三羽の鳩を抱えて取材先まで持って行き、特製の薄紙に、なるべく小さい文字で記事を書き込む。それを小型の通信用封筒に入れて鳩の脚に装着し、放すのである。東京朝日新聞に続き、毎日新聞でも一九二四(大正一三)年に陸軍からの鳩の払い下げを受けて飼育と訓練をはじめた。やがて、電通、時事、読売、国民と在京の新聞社や通信社などが軒並み鳩の設備を備えたという。その後、鳩通信の全盛期は一九三五(昭和一〇)年から一九三八(昭和一三)年くらいまで続いた。終戦直前、広島原爆投下を通信したのも二羽の伝書鳩だったという。その後、通信事情がよくなるにつれ、自社の通信のためではなく、イベントへの貸し出しなどの仕事が多くなり、本来の伝書鳩としての活躍の場は次第になくなっていった。一九六一(昭和三六)年、朝日新聞東京本社では優秀な伝書鳩約二〇〇羽を愛鳩家に引き取ってもらい、通信鳩の時代は終わった。毎日新聞東京本社では、一九六五(昭和四〇)年一〇月、連絡部鳩係を廃止した。残った鳩は公共施設や社内の希望者に引き取られたという。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820588 |