地図②
【ちず】
戦時中、なぜか地図から消されていた島
その昔、八年間ほど地図から消されていた島がある、そこには、なんとも悲しい日本の歴史があった。その島とは、広島県竹原市に属する大久野島で、瀬戸内海に浮かぶ面積七〇〇平方キロほどの小島である。この大久野島は、一九三八(昭和一三)年から一九四七(昭和二二)年までの間、地図の上から消されていた。それは、島全体が軍の毒ガス製造工場だったからである。一九世紀末の日清戦争後、大久野島は、広島と呉を守るため、要塞に改造されて一六台もの砲台が設置された。そして一九二九(昭和四)年、陸軍によって住民は強制退去させられ、毒ガスをつくるための工場が建設された。工場では延べ五〇〇〇人もの従業員が毒ガスの生産をおこない、製造された毒ガスの一部は中国大陸で実際に使用されたといわれている。だが、もちろん、毒ガスの製造・使用は国際条約に違反する。そこで日本軍は秘密を保持するため、この島を地図という地図から消してしまい、島の存在すら隠そうとしたようだ。大久野島の工場では、人間の皮膚にダメージを与えるイペリットや青酸ガスなど五種類のガスがつくられていたが、工場などで働いた人々が皮膚にただれを起こしたり、水疱ができるなどの障害を負い、戦後も慢性気管支炎などの後遺症に苦しむ人が多くいたという。また、後遺症による死者は一六〇〇人を超えるともいわれている。なんとも悲しい話である。現在、島は国有地となり、国民休暇村に指定されて多くの観光客が訪れるようになった。しかし、戦後、大久野島をはじめ全国の旧軍施設に保管されていた毒ガスが連合軍によって集められ、大久野島周辺や日本近海に投棄されていたことが、二〇〇三(平成一五)年に調査でわかったばかりである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820546 |