鴨長明
【かものちょうめい】
『方丈記』に隠された本音
鎌倉時代初期の歌人、文人で、中世の代表的な隠者の一人としても名高い鴨長明。下鴨神社の禰宜だった鴨長継の次男として生まれ、七歳で従五位下となる。少年時代は鳥羽上皇の皇女、高松女院に仕えた。青年期以降は和歌、管弦に親しみ、『鴨長明集』を自撰。勅撰和歌集では、『千載集』に一首、『新古今集』に一〇首収録されている。一二〇四(元久元)年、五〇歳の春に出家し、洛北の大原に隠棲。一二〇八(承元二)年に大原から日野外山に移住し、方丈の庵を結ぶ。一二一二(建暦二)年に執筆した『方丈記』は、草庵生活の快適さ、意味深さが綴られ、すぐれた隠者文学として評価が高い。『方丈記』の有名な「ゆく河の流れは絶えずして……」の序文や草庵生活を賛美した文を読むと、長明は俗世に関心の薄い無欲で風流な隠者かと思うところだが、実は俗世に未練を持っていたようだ。そもそも出家した動機そのものも、俗世の出世より隠遁生活に心惹かれたからではない。長明は一九歳の頃に父を失ったため、神官としての昇進の道を閉ざされ、父のあとを継ぐ望みを断たれたが、五〇歳になってようやく父のあとを継ぐ機会がめぐってきた。下鴨神社の禰宜への通り道となる河合社の禰宜に欠員ができ、後鳥羽上皇から後任にという内意を受けたのだ。だが、下鴨神社惣官の祐兼が、長明ではなく自分の息子を禰宣にと主張したため、長明の禰宜就任の話は流れた。この一件で、長明は自分の出世運に見切りをつけて出家し、隠遁生活を送るようになったのである。こんな事情による出家だっただけに、長明は俗世間への未練を断ち切ることができなかった。自身もそれを認め、『方丈記』の終章で、隠者の生き方に憧れながら、それを徹底できない自分の内面的矛盾をさらけ出している。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820190 |