オランダ坂
【おらんだざか】
長崎の観光名所「オランダ坂」は、たくさんある?
長崎の観光パンフレットにあるオランダ坂をよくよく見てみると、「オランダ坂」と称しながら、いろいろな坂が紹介されている。代表的なのは、十二番館と十六番館の前にある切り通しの坂だが、グラバー園や南山手、東山手一帯の坂をさすこともある。実は、「オランダ坂」というのは、外国人居留地の坂を総称してそう呼ぶ。「オランダ坂」という特定された坂があるわけではないのだ。開国当時の長崎では、東洋人以外の外国人はすべて「オランダさん」と呼んでいた。つまり、「オランダさん」という言葉が、「外国の人」と同義語だったのである。だから、オランダ人ではなくてイギリス人であっても、アメリカ人であっても、ドイツ人であっても、西洋の人はみな「オランダさん」だった。そのため、西洋人がよく通る坂を「オランダ坂」と呼んでいたのである。これだけ「オランダ」が連呼されていたということは、その影響力もオランダがいちばん強かったのだろうと思いきや、意外なことに、当時の長崎が、最も強く影響を受けたのはイギリスだったようである。たとえば、英国聖公会会堂は、日本で最初に建てられた新教の教会堂である。また、大浦居留地の東山手につながる二本の道と教会に通じる道を、切り石を敷き詰めた完全舗装道路にするように要求したのも、イギリス領事とイギリス人のW・J・オールトを議長とする市参事会だった。こうして、おもにイギリス人からの強い要求でできた石畳の道のなかで、坂になっている部分が「オランダ坂」と呼ばれるようになったのは、なんとも不思議なことである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820137 |