婿入り
【東京雑学研究会編】
§昔は婿入りが当たり前だった?
結婚のことを「嫁入り」ともいうように、日本では妻が夫の家に入り、そこの家風を受け継いでゆくという形態が多い。だが、昔は、夫が妻の家に入る、「婿入り婚」が一般的だった。
平安時代頃には、男が女のもとに通う「通い婚」の形ができていた。これは、夫が妻の家を訪れることから、「妻訪い婚」とも呼ばれ、夫が通い続けることが、結婚の継続であった。
その結婚が社会的にも認知されるようになると、妻の家では、夫の居心地がいいようにあれこれ気を配り、衣食はもちろん、経済的援助や仕事の世話まで、夫の面倒をみてやった。そのため、夫の出世は、妻の家の権力によって大きく左右された。生まれた子どもを育て、教育するのも、妻の家であった。
当然のことながら、あちこちの女のもとに通う男もいるわけで、事実上の一夫多妻制が容認されていたことになる。その場合、妻の家柄や、結婚した順序によって、正妻や二番目の妻としての扱いが生まれた。正妻だからといって、安穏としてはいられない。妻の親が死んで、その家の権力が失われると、夫の足が遠のき、やがて捨てられるということもあった。
もっとも、女のほうも、ただ男が来るのをじっと待っていただけではない。これはという男がいれば、使いの者に歌を持たせて積極的に誘いをかけたし、親もそれを後押しした。このようにして夫が妻の家に居続けると、「婿入り婚」になる。鎌倉時代の頃には、婿入り婚が一般的になった。
現代のような嫁入り婚が広がったのは、鎌倉時代の後半からである。中・下級の武士たちは、自分たちの所領で農業を行っていた。自ら田畑を耕すこともあれば、小作人を使うこともあった。いずれの場合も、妻は重要な働き手である。そのため、夫婦単位で所領を管理し、嫁いできた妻が、姑から家風を教えられ、代々受け継ぐようになったのである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670919 |