ハンドル
【東京雑学研究会編】
§外国でも、かつてクルマは右ハンドルだった!
外車が左ハンドルになっているのは、右側通行の国ではそのほうが運転しやすいからだ。クルマが右側通行の国は左ハンドル、左側通行の国は右ハンドル。だから国産車は基本的に右ハンドルである。
しかし、自動車の草創期である一九世紀には、左側通行の国でも、ほとんどのクルマのハンドルは中央、もしくは右側についていたという。一九〇八年にシカゴとニューヨークで開かれたモーターショーでも、すべての展示車が右ハンドルだった。
当時のクルマが右ハンドルだったのは、ギアチェンジレバーの操作が、利き腕の右手をつかわなければできないほど難しかったからのようだ。
ふだんオートマ車を運転している人には、ギアチェンジの必要なクルマの操作は難しいものだ。当時のクルマのギアチェンジレバーは車外の右側にあり、操作にはデリケートなコツが求められた。しかも、レバーやギアボックスをつなぐ「クロスシャフト」や、それを覆うチューブなどが必要で、クルマの製作工程はかなり複雑だった。
そこで、ハンドルを左に移せば、チェンジレバーを直接ギアボックスにつなぐことができ、コストを大幅に削減できるという発想が生まれる。
そんなコンセプトを最初に製品にしたのが、一九〇九年に発表された左ハンドルの大衆車T型フォードである。フォード社の研究開発チームの努力は、世界のクルマの発展にも貢献した。その後、シトロエン、ルノーなどの欧州車も左ハンドルに変更。つぎつぎに左ハンドルの大衆車が誕生し、その後のクルマ社会の到来につながっていく。
日本人にとっては、あこがれの左ハンドルだが、クルマ社会ができあがる前に、このようなエピソードがあったのだ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670782 |