七福神
【東京雑学研究会編】
§七福神はなぜ七人なのか?
普段は神社の方を見向きもしない人でも、赤ん坊のお宮参りや正月の初詣には神社に参り、清らかな気持ちで手を合わせ祈るといった光景はよく見られる。
日本のどの地方にも必ずといってよいほど存在する神社は、このように地域住民の生活と何らかの形でつながりを持っている。今日では次第に薄れつつあるとはいえ、「祭祀」という宗教儀礼によって、その土地の氏神と氏子という共通の意識を生み、一つの共同社会を作り上げてきたといってよい。
この「八百万神」は、人間の吉凶禍福を司る神々として受け止められ、信仰されてきた。例えば、病気の平癒、生活の中のいろいろな難問の解決、富と幸福を求めることなどである。人々は福、禄、寿を求め、神頼みしてきたのである。
このような祈りの対象としてよく知られる神々に、「七福神」がある。恵比寿、大黒、毘沙門、弁天、福禄寿、寿老人、布袋という七人の神々が、金銀財宝を積んだ宝船に乗り、海の向こうからやってくるという。
なぜこれらの福神の数が七人かという点については、仏教の経典である「仁王護国般若波羅蜜経」受持品の中の七難七福という文句が根拠になっているようである。七難七福の具体的な内容は明らかではないが、七難に対抗するため七福神が生まれたようだ。
室町末期には、七福神がどのようなものであるか、「狂言七福神」や「大悦物語」の中に表されている。しかし、そのメンバーは一定していなかったようだ。今日よく知られている七福神のメンバーは、「狂言七福神」や「七福神考」に見られるメンバーである。
人々は、正月七日までに七福神に詣で、あるいは七福神の色紙を床の間に掛け、枕の下に入れて、初夢に七福神を見ようとする。けなげに幸福を追い求めているのである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670423 |