潮湯治
【しおとうじ】
■14 日本初の海水浴場では海に入って病気治療…日本古来の水泳は軍事訓練だった?
日本で初めて大々的にオープンした近代的海水浴場は、神奈川県中郡大磯町の照ヶ崎海岸である。1885年のことだ。だが、この海水浴場は、現在のようなレクリエーション施設ではなかった。
何と、病気療養や保養を目的に整備したのだという。大磯の温泉(塩湯)で持病のリューマチを治した陸軍軍医総監・松本順(順天堂の創始者・佐藤泰然の実子)が、地元の人々の協力を得て、つくったのである。だから、訪れる客は、いまのように若者や家族連れではなく、老人や病気持ちばかりであった。泳がず、湯治みたいに、首まで海水に何時間も浸かっていたようだ。
もともと我が国には、海に入って病を癒す「潮湯治」という風習があった。たとえば『古事記』には、イザナギノミコトが御祓のため海中に入ったという記述がある。だから、松本の発想は、それほど突飛なものではなかったのだ。
では、日本人は海に浸かるだけで、泳がなかったかといえば、そうではない。江戸時代には、武士のたしなみとして「水練」が流行り、川だけでなく海でも盛んに武士たちは泳いでいる。
ちなみに、武士の水泳にも流派があった。鎌倉時代、伊予の海賊・村上義弘が創始したという海賊流から分かれて、多くの流派が生まれている。水府流、観海流などが有名である。これらは「日本泳法」と呼ばれ、武具が使えるように両手が自由になる立体泳法が特徴である。
一方、スピードを競うスポーツとしての水泳の概念が我が国に浸透してくるのは、明治20年代のことである。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625130 |