正岡子規
【まさおかしき】
■13 俳人の正岡子規がなぜか野球の殿堂入り…意外な人のベースボール普及活動
2002年1月11日、近代俳句を創始した正岡子規が野球殿堂入りしたという、ちょっと不思議なニュースがテレビや新聞で報道された。
なぜ俳人の子規が、プロ野球選手でもないのに野球殿堂に入ることができたのだろう?
子規の殿堂入りは、我が国に野球を普及させようとした功績が認められたものである。
彼は東京大学予備門に在籍していた1884年、ベースボール(野球)というスポーツを知った。いたくこの競技を気に入った彼は、故郷の愛媛県松山市に、これを広めたと伝えられる。
また、デッドボールやファールをどう翻訳するかなどに頭をひねっていたことも判明している。
子規の幼名は、升というが、野球を「のボール」ともじって、ときには雅号に使用することもあったほど、野球が好きだった。
「まり投げて 見たき広場や 春の草」
「草茂み ベースボールの 道白し」
「九つの人 九つの場を占めて
ベースボールの始らんとす」
といったように、子規は多くの野球に関する歌も詠んでいるのだ。
ちなみに、子規のポジションはキャッチャーだったらしい。東京ドーム内の野球殿堂には、子規がバットを持った当時の写真が飾られている。
子規の地元・松山市では、市役所や子規記念博物館などに「正岡子規 野球殿堂入り決定」の垂れ幕が下がり、町じゅうが喜びに満ちた。JR四国も、松山市内の市坪駅の駅名に愛称「野球(の・ボール)」を付けることにしている。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625129 |