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日本史の雑学事典第7章 愛と憎しみの巻 > 平安時代

白河法皇
【しらかわほうおう】

■2 48歳も年下の愛妾に自分の子を産ませた白河法皇…「叔父子」という呼び名に込めた鳥羽天皇の内心は?
 鳥羽天皇の妻である待賢門院璋子が、第一皇子である顕仁親王(のちの崇徳天皇)を出産したのは、1119年5月のことだ。
 この出産にさいして、一切を取り仕切ったのは、鳥羽天皇の祖父・白河法皇だった。だがこれは、白河法皇にとって初のひ孫(嫡曾孫)だったから、という単純な理由からではなかった。
 実際、白河法皇の赤子に対する執着は異常といえた。璋子の妊娠中もたびたび彼女を親しく見舞い、出産後の御湯殿の儀式も、自ら部下を指示して執りおこなったのである
 逆に、態度が変なのは父親の鳥羽天皇だ。初子というのに喜びの表情も見せず、冷淡でさえあったという。
 これは、いったいなぜなのか?
 理由はいたって明快である。顕仁親王が、本当は白河法皇の子だったからだ。璋子と白河法皇には肉体関係があり、この関係は、実は鳥羽天皇が璋子を妻にする前から続いていたのである
 璋子は、権大納言藤原公実の娘として生まれたが、幼くして父と死別、祇園女御(白河法皇の寵姫)に養育されていた。たまたま祇園の屋敷でこの璋子を目にした白河は、その余りの愛らしさに惹かれ、当時7歳の彼女をもらい受けて養女にしたのだ。
 そして、自邸で育てるうちに親子を超える感情が生まれ、やがて自分の愛妾にしてしまったまるで『源氏物語』のような世界である
 2人の年齢には48歳もの開きがある。男女の関係が成立するとはとても思えないが、白河の精力は絶倫で、性欲面に関しては抑制が効かなかったらしい。愛人だった祇園女御の妹にも手をつけて、子を孕ませたとも言われている。
 白河は、そんな璋子を、孫の鳥羽天皇の中宮として入内させた。こうすれば、人目を気にせず堂々と会えるからだ。院政を敷いていた白河の権力は絶大で、この結婚話に鳥羽天皇は逆らうことができなかった。ときに璋子は17歳、鳥羽より2歳年上であった。
 白河は、その後も孫の妻となった璋子と密会を重ね、その結果、彼女は顕仁親王を身籠もったというわけだ。
 この不倫は宮中の公然の秘密であり、当然鳥羽も承知していた。鳥羽は顕仁親王を『叔父子』と呼んでいたが、これは「形式的には我が子だが、内実は祖父の子、すなわち叔父に当たる」という意味だった。何ともおぞましい関係である
 1123年、白河法皇は鳥羽天皇を退位させ、5歳の顕仁親王を崇徳天皇として即位させた。上皇となった鳥羽は、白河院政下で不遇の日々を過ごし、白河が崩御した1129年からは、一転して専制君主的な鳥羽院政時代を迎える
 鳥羽の崇徳に対する嫌悪の念は変わりなく、1141年には、崇徳の異母弟でわずか3歳の体仁親王を近衛天皇として即位させ、崇徳を退位させた。自らの受けた仕打ちを、そのまま返したのである
 そして、このドロドロとした関係が、のちの保元の乱、ひいては貴族支配の終焉へとつながるのだから、歴史とは不思議なものである




日本実業出版 (著:河合敦)
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14625078


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:河合敦
価格:1,404
収録数:136語
サイズ:18.6x13x2.2cm(四六判)
発売日:2002年6月
ISBN:978-4534034137

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