源頼朝と北条政子①
【みなもとのよりともとほうじょうまさこ】
■4 源頼朝と北条政子①…恋する人のもとへ雨のなか一人で山越え
1159年の平治の乱に敗れた源義朝の子・頼朝は、平清盛によって伊豆の蛭ヶ小島に流され、13歳のときから20年以上も流人生活を送ることになるが、平氏政権が安定する頃には、頼朝への監視はかなり緩やかになっていた。
頼朝は、とてもハンサムだったと言われ、無骨な関東武士にはない、理知的なタイプだったことから、関東娘たちの心を強く惹いた。また、頼朝のほうもかなりの女好きで、監視が緩和されたのを幸いに、あちこちの女と交際をするようになった。そのなかの一人が、北条政子だった。
政子の父・北条時政は伊豆の豪族で、頼朝の監視を命ぜられていた人物である。その時政が上洛中の1177年、頼朝は政子と恋に落ちた。頼朝30歳、政子20歳のときのことである。
事態を知った時政は驚嘆した。もし平氏にバレでもしたら大事である。そこで時政は、すぐに平氏の目代(代官)をしていた山木兼隆のもとへ政子を輿入れさせることを決めてしまったのだ。
頼朝は、輿入れの直前、政子にこう告げた。
「伊豆山権現で待つ。山木のもとから逃げてこい」
すると、何と政子は、山木の館から伊豆山脈を越え、20キロもある伊豆山権現までの道のりを、真夜中にたった一人で駆けてきたのである。当夜は激しい嵐だったという。何とも気丈な女である。
こうして伊豆山権現に入った政子は、頼朝と再会する。この時代、寺社というのは、ある種の治外法権を有していた。そこへ逃げ込んだ2人を、時政はどうすることもできず、ついに結婚を認めたのであった。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625080 |