徳川家光①
【とくがわいえみつ】
■7 徳川家光直筆の金扇を発見!…書かれていたのは何と柳生新陰流の兵法だった
1999年6月、3代将軍・徳川家光が佐賀の小城藩主・鍋島元茂に贈ったとされる金扇が、奈良市内の古美術商・多田敏捷氏宅に保管されていることが判明した。
この金扇には、家光の直筆がびっしり書き込まれており、筑波大学の渡辺一郎名誉教授が、筆跡に加え、家光が鍋島元茂に扇を与えた記録があること、当時金扇を使用できたのが将軍に限られたことなどから、これが家光の金扇だと判断した。
金扇は、和紙に金箔を張りつけたもので、大きさは縦17センチ、横58センチある。扇に毛筆で隙間なく書き込まれた文字は、詩でも和歌でもなく、柳生新陰流の兵法や剣法を記したものだった。
実は、家光はたいへん武術を好み、さまざまな剣豪を招いて、たびたび御前試合を催すと共に、自らは柳生新陰流に入門し、稽古に励んでいたことが判明している。
その稽古相手の一人が鍋島元茂であった。金扇は、元茂が家光の前で模範演技を披露したさい、家光に「兵法の心得を述べよ」と問われ、一言「無心」と答えたことに喜び、下賜したとされる。
ちなみにこの金扇は、多田氏が数年前、京都市内の古道具市で、木箱に入った金扇と、その由来が記された柳生家と鍋島家の書簡を見つけて、買い取ったものだそうだ。
柳生家は家光の剣術指南役として大変厚遇されており、3千石の旗本だった当主・宗矩は、大名の監視役たる惣目付(のちの大目付)に任命され、やがて1万2500石に加増され、大和柳生藩の大名になっている。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625076 |