憲法十七条
【けんぽうじゅうななじょう】
■2 憲法十七条は聖徳太子の作じゃない?…根強く残る偽作説の根拠とは
日本人は、あまり自己主張を強くせず、たいへん協調性に富んだ民族だとよく言われる。それが大切なのだと初めて説いたのが聖徳太子だ。
聖徳太子が604年に自ら編纂したとされる憲法十七条の第1条は、「和を以て貴しとし、忤らふることなきを宗とせよ」とあり、人の和の必要性が記されている。
ちなみに、この十七条憲法だが、憲法という名がついているといっても、現在の憲法を考えてはいけない。国家の基本法典ではなく、豪族に向けた訓戒といったほうが的確である。
内容を簡単に要約すれば、「豪族たる者は、官僚として天皇に忠実に仕え、仏教を尊崇し、不正をおこなってはならない」というもの。中国の隋朝を模倣して、天皇を中心とした中央集権的官僚国家を目指した太子の理想が、この憲法をつくらせた動機だという。
ところが、江戸時代の頃から、この憲法は聖徳太子の作ではないとする説が強くなる。
江戸後期の学者・狩谷〓斎は、「この憲法は日本書紀の編者の創作である」と主張した。これを発展させ、近代における日本古代史の大家・津田左右吉は次のように断定した。
「当時は氏姓制度で成り立っていたのに、のちの官僚制度を思わせるような箇所が少なくなく、さらに条文中の『国司』とか『国造』という役職は、645年の大化改新以後のものである。だからこの憲法は、天武・持統天皇の頃の偽作である」
現在は、太子の真作とする説が主流だが、偽作説も完全には否定できないようだ。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625001 |