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暦の雑学事典2章 暦の歴史エピソード >

日本固有の古代暦
【にほんこゆうのこだいれき】

日本固有の古代暦は存在したか

◆五世紀日本でも干支紀年法は存在した
 中国の元嘉暦は七世紀初めの推古朝に使われていたのは確かであるが、日本においては持統天皇による元嘉暦と儀鳳暦の施行(六九〇年)をもって公式暦の始まりとする。しかし、非公式の暦だからといって劣った暦とはかぎらない。推古朝以前にも中国の暦法が日本にもたらされ、渡来人や地方豪族の間で使われていたことは十分に考えられるである
 一九六八年(昭和四三年)、埼玉県行田市の稲荷山古墳から発掘された鉄剣に、「辛亥年」と製作年を記した銘があることが、X線撮影によって発見された。干支は六〇年ごとに繰り返されるので、辛亥年だけではいつの時代かは特定できない。しかし、銘文中にはワカタケル大王という文字もある。ワカタケル大王を雄略天皇(古事記などにおける第二一代天皇)と考えると、この鉄剣は西暦四七一年に製作されたと考えるのが妥当という。
 このように五世紀頃の日本にはすでに干支紀年法は存在した。では、それ以前はどうだったのか。三世紀に中国で編纂された『三国志』の『魏志』倭人伝によれば(ただし本文ではなく補注)、当時の日本について「その俗正歳四節を知らず、但し春耕秋収を記して年紀となす」とある。正歳四節を知らずというのは四季を知らないという意味ではない。一年の長さや春夏秋冬の節目となる立春・立夏・立秋・立冬を、天体観測によって定める方法を知らないという意味だろうだからといって、当時の日本に暦がなかったということにはならない
◆環状列石(ストーンサークル)は日時計
 仏教や儒教の影響以前の日本文化を発掘しようと、江戸時代に国学が勃興した。国学者・本居宣長は『真暦考』において、中国の暦法が渡来する以前にも日本固有の暦はあったと主張している。なかなか大胆な仮説だが、本居宣長は中国文化の影響を否定するあまり、日本古代の固有暦は月という単位さえなく、春夏秋冬サイクルとする農業暦(自然暦)であったという極端な意見に傾いている。『古事記』の記述を信じた本居宣長は、天地開闢後の神代の昔から、稲作が行なわれていたように考えていたようだ。しかし、考古学的には西暦前三世紀頃(繩文時代晩期~弥生時代前期)、一説では縄文時代前期に、大陸から日本へ稲作が渡来したといわれる。したがって、大陸の影響を受けない稲作文化とそれに基づく農業暦というのは空想の産物にすぎない。また、もし大陸の暦法が稲作とともに渡来していたと考えると、このときから日本の暦は中国の影響を受けていたことになる。本居宣長イメージする神代の時代は、記紀神話の中にしか存在しない。
 しかし、日本列島には少なくとも一万年も前から、縄文人が独自の文化をもって生活していた。縄文人は採取狩猟が主体なので、少なくとも春夏秋冬サイクルとする素朴な自然暦をもっていたことは間違いない。北海道や東北地方に多くみられる環状列石(ストーンサークル)は、季節推移を知るための日時計ともいわれる。日本古代の固有暦が存在していたとしたら、それは縄文人の考案によるものである




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040019


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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