そばの色香
そばのいいのは、秋深くから冬にかけてだろう。新そばのころは、昔からそば好きには嬉しい時節だった。いまや科学技術の進歩の恩恵は、そばの世界にももたらされた。玄そば(殻のついたままのそば)を低温恒湿倉庫できちんと保存することにより、私たちは、香り高いそばを一年中味わえるようになった。
美味しいそばの条件に「三たて」というのがある。「挽きたて、打ちたて、茹でたて」である。
茹で上がったそばの味は淡いが、艶があり、そばの角が立って瑞々しく、殻の直ぐ下にある香りが活きている。しかし、時がたつにつれて、艶、香り、腰、喉越し、味が、急速に失われてゆくのだ。
だから、そばの食べ方の作法には道理がある。そばがあれほど長いのも、堅すぎてはいけないのにも、道理がある。箸で、すうっと持ち上げ、端を僅かにつゆに浸し、すすり込む。そばが喉元を通りすぎると、ほのかな後鼻香が戻ってくる。うどんにはあり得ない、完全にはしなやかならざる強張り、それにかすかなざらつきが、そばの、えもいわれぬ感触を、口に喉に持続させる。と、突如、甘辛いつゆが、きりっと舌に響き、いい出し汁の味わいが充実感となって、余韻をかもす。この階調とリズムこそ、江戸っ子という都会人が、時を費やして練り上げてきた美意識ではなかろうか。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京-五つ星の蕎麦」 JLogosID : 14071329 |