?独自性に満ちた下呂「仲佐」のそば
もう一つ明記しておくべきことがある。このような石臼碾き自家製粉の潮流とは無関係に、何の逡巡もなく、そば料理人になったその日から、手碾きの石臼で自家製粉を続けるそば料理人がいた。高山の精進料理屋「角正」で十年以上そばを打っていた、現「仲佐」(下呂)店主仲林氏である。彼はそばを作る過程に、なんであれ機械が介在することを峻拒する。なぜかと問われても、職人としての彼の生理がそうさせるという他はない。
一般的な自家製粉においては、まず黒い外皮に覆われた玄そばを精米機にかけ、付着している泥やゴミを取る。更に石取り機でゴミを取る。仲林氏はそのかわりに荒縄で玄そばをしごくなどしてあくまで手作業でゴミを取る。そうして玄そばを大きな石臼で豪快に手碾きし、ふんぷんたる香気を放つとてつもなく粗々しい粉を作る。粗すぎてつながりにくいこの粉に三割の小麦粉を加え(二・八から生粉打ちが主流となっている現代のそばシーンにあってはこのつなぎの量は多い)、しなやかな麺体を持ったそばに仕立てる。粗々しさと清冽さの拮抗した独自性に満ちたこの見事なそばは、食べる者に、ちょいと衝撃的なそば体験をもたらす。
九〇年代に入って仲林氏のそばは、“手打ち、石臼碾き自家製粉”を行っているそば料理人たちに知られるようになった。その影響を受けて、電動石臼機での製粉とは別に、手回しの石臼によって製粉した粉を用いて打つそばを、商品のバリエイションに加える店ができてきた。手碾きという、一層プリミティヴな次元でのそばとの対峙は、彼らのそばをもう一歩深いところへ導いた。手碾き自家製粉は平成二年(一九九〇)以降、“手打ち、石臼碾き自家製粉”の潮流にのって五年程で定着したが、どこでも一日二十食程の限定品として提供されている。手碾き自家製粉の元祖仲林氏は、今日も店で提供するそばの全ての粉を、ゴウゴウたる音をたてながら手碾きする。石臼を回す彼の右腕は、そこだけ異様に筋肉が発達し、サイボーグ化している。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京-五つ星の蕎麦」 JLogosID : 14071327 |