そば猪口と汁徳利
そばとは、不思議な食べものだ。随分と辺鄙な山家でふるまわれても、かなり高級で豪華な席上でも、そのありようは、ちゃんと場所を得て、すこしも外れない。
元来は地味で質素な食べものなのだから、使う食器は、華麗・豪華になんぞ、なりようがない。そばの端正さを活かすには、どのような席でも、食器はできるだけ装飾性を排したものがよい。
そばにつかわれる食器は、基本的には、せいろ、そば猪口、汁徳利だろう。せいろは置くとして、そばつゆを容れるそば猪口、大体は伊万里焼で、その図柄は山川草木に始まり、さまざま。また、土ものも時折見かける。そばは箸で摘んで一口ですすれる量を汁に浸して食べるから、そば猪口は必ず筒状で手に持てる大きさということになる。皿状や椀状ではいけない。
汁徳利は、伊万里または土ものと、これも大体そば猪口と同じだ。ただし、わたしには注文がある。汁が後ろにまわらぬようにしてほしい。お盆の上や卓上が、まわった汁でべちゃべちゃしているのは閉口だ。
先日、錫の食器の展覧会で聞いた話。錫の酒器は、酒の味をたいへん良くするそうだ。また大阪のあるうどん屋では、汁を一晩、錫の鍋に入れて寝かせておくとこれが美味しくなるとか。
で、提案だが、錫の汁徳利をつかってみてはどうだろう。汁の回らない錫の汁徳利のなかで、そばつゆにうま味が増し加えられ、端正なそばきりには、艶を消した錫の光は、似合うのではないかなあ、と思うのだが。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京-五つ星の蕎麦」 JLogosID : 14071331 |