ルソー
【るそー】
女性との「契約」はいい加減だった大思想家!?
一八世紀の優れた思想家であり作家でもあるジャン=ジャック・ルソー。一七一二年にスイスで生まれ、幼くして両親を相次いで亡くし、一六歳でスイスを出てフランスからイタリアへと放浪。一七五〇年に『学問芸術論』を書き上げ、この論文がパリの懸賞で当選。一躍有名人となった。後にルソーが書いた『社会契約論』は、「社会や国家は、人間が幸福を守るためにつくったものだから、幸福を得られない国家社会はつくり変えることができる」とし、国王の専制や教会の圧力に苦しんでいた人々の心を揺さぶった。この著は明治期に中江兆民により『民約論』と翻訳され、日本の民主主義の思想と運動にも大きな影響を与えた。ルソーは生涯を通して人間はどうしたら幸せになれるかを探求し続け、『学問芸術論』のなかで、「人は生まれながらの自然に帰るべきだ」と述べてもいる。しかし、彼のこの思想は、彼の生活のなかでかなり身勝手な行動も生み出していたようだ。一六歳のルソーは、一三歳以上も年上の女性と知り合い、仕事を紹介してもらったり、宗教活動の手伝いなどをするが、やがて彼女の愛人となり、しかも別の愛人も入れて三人で共同生活をするという自由奔放さだったという。さらに三三歳で愛人関係となった下宿先の洗濯女テレーズとは、その後彼の死までの三三年間をともに暮らすのだが、彼女について「彼女にはかすかな愛情のきらめきさえ感じたことはない。彼女によって満たされたのは性的なものだけで、一人の人間としての彼女とは何の関わりもない」と堂々といってのけている。しかも、彼女との間に生まれた五人の子どもを全員孤児院へと送った。嫌がるテレーズを説得し、しぶしぶ納得させたのだという。そのうえ、なんということか、彼は五人の子どもに名前すら付けてあげていない。彼が求めた幸福と自然な状態とは、まさかこんなことではなかっただろう。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820958 |