マルコ・ポーロ
【まるこぽーろ】
『東方見聞録』は牢屋で語られた
マルコ・ポーロは、一三?一四世紀に活躍したヴェネツィアの商人で旅行家、『東方見聞録』を口述したとして有名である。一七歳のとき彼は、宝石商の叔父や父とともに中央アジア経由で東方へと旅立った。一二七四年に元に到着。皇帝フビライ・ハーンに謁見し、そのまま側近となる。そしてフビライの命で広く中国を回り、各地の言語風俗を調査記録するという役割を担い、一七年間、元にとどまったという。当時、モンゴル第一主義をとっていた元では、中国の伝統の文化は尊重されなかった。しかし、世界帝国であった元はどの民族のものでも役に立つものは積極的に取り入れたらしい。たとえばイスラム暦が導入されたことに刺激を受け「授時暦」をつくるなどした。ちなみに一七年間、マルコは元にいながら中国語は話せず、ペルシア語やトルコ語を覚えたらしい。元の宮廷では、モンゴル語とペルシア語が話されていたからといわれている。往復の日数を入れると二四年間アジアで暮らしたマルコは、一二九五年、ヴェネツィアに帰国する。出発のとき一七歳だったマルコは、すでに四一歳になっていた。莫大な富を持ち帰った彼らは、ヴェネツィアの人々を仰天させ、町の有力市民にも加えられた。しかし、ちょうど当時はヴェネツィアとジェノヴァは戦争状態であった。マルコは一二九八年の戦闘で捕らえられ、ジェノヴァの捕虜になってしまい、三年間牢屋に入ることとなる。この牢屋には、やはり捕虜になっていたピサのルスティケロという小説家がいた。マルコは東方旅行の思い出を語って聞かせ、それをルスティケロが筆記したのである。彼の話はその後も次々と書き写され、一五世紀には印刷物にもなった。このようにして誕生したのが、日本で『東方見聞録』として知られている不朽の名著『世界の記述』である。この本は、その後、多くの人々に東洋への憧れを抱かせ、ひいては大航海時代を現出させるきっかけにもなった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820852 |