相撲
【すもう】
昔は「東」「西」ではなく、「左」「右」だった
大相撲といえば、行司が「ひがーぁしぃー、○○のぉーやまぁー」「にーぃしぃー、××のぉーうみぃー」などと東西に分けて紹介をするのが常識になっている。だが、この常識、昔は単純に「左」と「右」で分けていたという。その由来は平安朝にさかのぼる。当時の節せち会え相撲の時代には「左」「右」に分けられていただけだった。現在のように「東」「西」となったのは、江戸時代初期の一六五四(承応三)年からだという。しかもその当時は、きちんと出身地で近江国(現・滋賀県)以東の力士を東方力士、以西を西方力士と名づけて番付表をつくっていた。番付表は、東西の力士が幕下から幕内、大関、横綱まで、一枚の紙に名前が書いて収められている表のことである。独特の相撲文字で書かれており、力士だけでなく、行司や日本相撲協会関係者の名前も、階級に分けて一枚の紙にずらりと一覧表にしてあるものだ。この相撲の番付では、勝敗にはまったく関係がなく、常に東方が上位とされている。これは、その昔、「左」「右」に分かれていた時代の風習からである。縦書きにした場合、「左右」という言葉の上にあるのが左なので左が上位だったのに習い、「東西南北」の上にある東を上位にしたといわれる。ちなみに、番付表が一枚になったのは、江戸時代中期の一七五七(宝歴七)年で、それまでは東で一枚、西で一枚だったそうである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820474 |