科挙
【かきょ】
杜甫は落ち続け、李白は受験もしていない
科挙とは、旧中国でおこなわれていた官吏登用のための資格試験のこと。「科」は試験をする科目のことで、「挙」は選挙で官吏を選抜して起用するという意味だ。隋の代から清まで、約一三〇〇年間もおこなわれた伝統の試験である。この科挙制、近世のヨーロッパ社会においては最も公平な人材登用法として評判がよかったのであるが、一九〇四年の採用を最後に廃止となった。本場の中国では、実際におこなわれるうえでの弊害のほうが目立ち、少しずつその廃止を求める声が増えていた。とくに、一九世紀以来、西洋勢力が東にやってくるにつけ、中国の伝統文化が無力感を痛感させられた時期である。西洋式の学校教育を取り入れようという動きが盛んになり、さらに、科挙に失敗した人々も便乗して不満を爆発させ、反体制の運動を止めることはできなかったという。唐時代の著名な詩人杜甫は二〇?三四歳の間に何度も科挙試験を受験しては、残念なことに失敗している。自由奔放な作風で、その家系も出身も定かではない李白は、当時の名門でない知識階級の者のほとんどが真剣に合格をめざした科挙を、受けようとした形跡もないという。ただ、政治に興味がまったくなかったわけではなく、むしろ政治参加には強い意志を持っていたようだ。有力者に自分の推薦を依頼する画策などはしていたらしい。この科挙制度は、中国周辺の漢字を使用する諸国に伝わり、日本でも、七二八年に初めて進士試験がおこなわれたが浸透せず、やがて廃止になった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820155 |